無題

めっきり寒くなったから頭に浮かんだことを全部殴り書く

論文じゃないから読みやすさなんて知らねえ

難しい横文字は知らないし使えない

季節の変わり目って大変だ

人間の体とか心とか、そういうもんは、許容範囲を超えた変化にはついていけないもんだ

嬉しい変化にしろ、悲しい変化にしろ、どっちにしろ。

冬は別にきらいじゃない

アイスが美味しいから

夏に濃いめのアイスクリームを食べると血管が詰まる、最悪の場合死ぬ、そうすると幸せな人はお母さんとかが悲しんでくれる、らしい

身近な人が死んだことがないから、この歳になって死というものに初めて真剣に向き合った時に、悲しめるんだろうかという不安を抱えて生きてるけど

流石にアイス食べて死んだら悲しむに悲しめないな

ところで最近は、言葉について考えることが増えた、かなり増えた

人類の最大の発明品であり最大の凶器であるのが言語だ、便利だ

自分の気持ちを言語という道具に置き換えて具体化する

そうして生まれるのが言葉だ

中身のない、音でしかないものは、言葉ではない

というのが今のところの結論だ、浅いな。

「永遠に君を守る」

「死ぬまで君を守る」

死んだら守れるわけないし(幽霊とかは信じないタイプだから)、永遠ってのはつまりその人の死ぬまでのことなんだろう

だから2つとも言っていることはほとんど同じだ

でもなんとなく、僕は後者の方が生きた言葉だと感じる

あなたはどっち

気持ちを言語に当てはめるのはちょっと怖い

1度当てはめると、頭の中でそれが固定されてしまうような気がするから。

ひとたび「悲しい」と思ったら、「なぜ悲しい?」と考えることはあっても、「これは本当に『悲しい』なのか?」と考えることはほとんどない

少なくとも僕はこのことに気付くまで考えたことはほとんどなかった

その気持ちが本当は「悲しい」じゃなかったら、「なぜ悲しい?」を真剣に何日考えたところで、欲しい答えは出てこない

ある意味後戻りできないような、そんな怖さがある

文字に出したり、口に出したりするのはもっと怖い

口に出すと、その気持ちと言葉の存在が、現実になってしまうから

現実になったら、もう戻せないから

間違っていることに気づいても、それでいくら訂正をしても、口に出した過去は戻せないから

だからどんな言葉でも、本当は同じように口に出すのは怖かったはずなんだ

だけど

「好きです」と伝えるのはものすごく怖いのに

誰かを傷つけるような言葉を吐くのは、そんなに怖くなかったりする

それは多分、

【自分が傷つくこと】が怖いだけ、だから

そう思うとあの時の震えとか、心臓の速さとか、

それら全部、自分が可愛いって気持ちの表れだったんだ

じゃあ本来あるはずだった、【言葉そのものを口に出すときの怖さ】みたいなものは、どこいっちゃったんだろう

いつか感じられるのだろうか

もしかしたら、自分が死ぬ時の最期の言葉を口に出す時、そんな怖さを感じるのかもしれない

何を考えても結局、たどり着くのは、

「ああ俺っていつか死ぬんだな」

ってところだったりする

いつか死ぬから、生きている今のうちになるべくたくさんのものをなるべくたくさん大切にしようという感情と、どうやったっていつか死ぬんだから、別に適当でいいかという投げやりな気持ち、その間でフラついているけど、

今を出来るだけ大切にできない僕に、明日なんてなかったみたいだ